文の練習 -

ちょっと真面目なひとり言

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例えば韓国のチョガッポ(ハギレで作ったパーチワーク風の布)は古くは衣服や寝具を縫った時に出てしまう余り布を無理にでも繋ぎ合わせて、1枚の布にしたものである。もったいない精神に加え、楽しんで形にしたのであろう先人のお洒落心が効いていて、単なるリサイクルではなく美の仕事として残っているところが素晴らしい。元来ハギレがないとチョガッポは出来ないのだ。そんな成り立ちを考えてみると、今あえてそれを作るなら、反物から布を切り刻んでパッチワークするのは順序が逆で、チョガッポとは言えない気がするし、デザインとしても結果的に好きなものが少ない。布が好きで、素材が好きで、欠片さえ捨てたくないからこその布仕事、だと思うのだ。そこには愛があるはずだ。

仕事としてものを作ったり、売ったり、買ったりする上では、そんな必然性が私にとって大事だったりする。究極はセンス云々ではなくて、精神に寄り添って生まれたものは感じが良い。もちろんそこには曖昧ではない美が残らねばならないのだけれど。難しい。自分自身はものを作り出せない人間なので、だからこそ、誰かが楽しく、あるいは苦しみながらも生み出した必然的な美に心を動かされる。簡単ではないがシンプルな事だ。純粋性こそ才能である、というジャニーさんの精神を受け継ぐ者としてここに記す。

これは友人のお母さんが古い絹のハギレを無駄なく繋ぎ合わせてくれたチョガッポ。時代の欠片をこのような形でいただけてありがたく思う。どこかでこんな余り物を見つけたら、この話を思い出していただけると嬉しい。

Mix Tape

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もう秋ですね。10月12日で2周年になります。うっかり3周年と色んな方に言ってしまいましたが、2周年でした、すみません。ここのところ時間の感覚がおかしいです。当日は開店を飾ったクマの花輪も友人らによって衣替えさせられるようです。

少し前に母親がアラレちゃんカー…ではなく古いマーチのコンパクトカーで迎えに来てくれた時、乗り込むと

カフェオ〜レ ア〜ア〜ア〜〜
カフェオ〜レ ア〜ア〜ア〜〜
カフェオ〜レ ア〜ア〜ア〜〜
飲みたい! 飲みたい!

という音楽がシュールに流れていました。
ん?そのへんにあるカセットテープを適当に流したらしい。カセットテープか、懐かしい!よく見ると90年代に大学の友人が誕生日プレゼントとして作ってくれたミックステープでした。あの時はまだカセットテープでしたっけ。合間にガチャッとか音が入ったりして、当時はジャマに感じた雑音すら懐かしい。私はこれを聴いていた頃、クリーム色のタートルネックを着ていたことをなぜか同時に思い出します。今、カセットテープで聴きたい気分。
このミックステープを作ってくれた友人は、開店当初から店を手伝ってくれている仲間になりました。時は流れました。

古道具屋さんの間で「物が出なくなった」という話をよく聞きます。数年前までは市場で100年以上前のものもよく出ていたようですが、今ではろくなものが出ないと。私は「そうでしょうねえ」と言います。
その人の店には私が子ども時代に使っていた80年代の生活雑貨が店に並ぶようになってきました。好きなプラスチック(プラッチックとも言う)も、家にあった類いのものがちらほら。しかも前プラスチック時代のベークライトや樹脂ではなく、本当にただのプラスチックでそこそこ高い。先日も連続して見つけたプラッチック・サンドイッチ・バスケットはお気に入り。今になってよく考えてみたらこれは竹の代用品だったのだなあ、と思う。なるほどね。

昭和から平成への過渡期。あの時に舗装されていなかった砂利道はコンクリートになって、ナメクジとの戦いだったあばら屋は新築され、家の前のどぶ川は埋められた事を思い出す。もう、アレもコレもヴィンテージになっちゃったんですね。仕入れをしながら、なぜかそんな事が淋しいこの頃です。

カフェオ〜レはどのインディーズバンドの歌だったのか、ミックスした本人も覚えておりません。

あの時の「あっぷる書店」で

10月12日で1年が経ちます。当初より応援してくださった皆様、ありがとうございます。「屋台の延長のような店」などと言って未完成のまま始まったものの、店らしくないにも限度があるだろうに、と思うほどグダグダな状態で開店。まだまだ思うようにはいきませんが何とかやっております。1年前に想像していた通りになったこともあれば、まったく違う結果になったこともあり、店はつねに有機的なもの。奮闘しながらも、なかなか面白くやらせていただきました。

最近よく思い出すこと。
小学生の頃、衣笠に「あっぷる書店」という古書店がありました。当時は近所にあったので、時々ぷらりと入っては少ないお小遣いで買えそうな本を物色していました。小さな店でしたが、マンガに力を入れているのが子どもながらにも見てとれたし、今考えても不思議に面白かったというか、自分にとって魅力的なお店だったのでしょう。タレント本も多くて青島幸男の『ざまァみやがれ!』がどうしても欲しかったけれど、こんな破廉恥でデタラメな本を持って帰ると親に怒られる、と思うと怖くて買えなったことを長年後悔しており、それを今思い出してネットで注文した次第。

当時流行のマンガもあれば、店主が密かにセレクトしているような棚もあり、レジ近くには『のらくろ』の初版本や当時発売されていたキャラクターグッズや時計、レトロな雑貨が大事そうにガラスケースに並べられていました。もちろんびっくりするようなお値段なので、いつも眺めては楽しむだけ。必要でもないし、思えば好きなテイストでも無かったのに、もう、どうしようもなく「欲しいいいいい〜〜!」と思っていたりしていました。古いマンガはナントカコミックスとは違って装丁の雰囲気も規格も自由な気がして、これまた「欲しいいいいい〜!」とハンカチ噛みしめながら、初見の水野英子のマンガを手に取ると3000円。おばさんに「なんで?」と聞くと不機嫌そうに、「そういうもんやから」とだけ言われた気がします。その時にガガーン!と頭を打たれたというか、何となく、分かったような。
その時は身分不相応な買い物なので、買えませんでした。しかしその後も自分が何を好きなのかが分からず、店内をくまなく調べて、どうしても我が物にしたい!と思うものを探しに行ったもので、きっとその行為が楽しかったはず。「どうしても何かを買いたい」と思いたかった欲求が忘れられず、なぜモーレツに欲しいと思ったのか?思わせたのか?を考えずにはいられませんでした。「あっぷる書店」は高校生にあがる頃にはもう別の場所に移転してしまい、私は古本屋に通うなんてことはすっかり忘れてしまいました。

ある時から商品があって、それを作る人、売る人、買う人、消費の関係やきっかけや流れに興味があったような気もする、というのは後付けなのですが、私にとってはそれを考える場が今の店です。
店に入って気に入りそうであれば、私ならゆっくりと見たいので、あえて積極的にご説明はしていません。現代の作り手さんの作品も、古い物も、プロダクトも、海外のものも、何となく関連のありそうに、ない交ぜにして並べています。本のセレクトショップで働いていた影響からかもしれません。しかし物販としてはとても分かりにくく、売れにくい並べ方です。逆に言うと見ようとする人にしか、見えにくいつくりになってしまいました。果たしてそれで良いのか?店だから変わっていくかもしれません。でも今のKitはそんな感じです。